日本人にとって温泉とは
| 日本人にとって温泉とは |
| 温泉はあなたにとって・・・? |
| われわれ日本人の温泉好きは、世界の中でも類をみないものである。それは、いうまでもなく、日本列島は火山列島というべきもので、温泉の噴出が多いことが最大の理由である。現在、温泉として公認されている源泉が二千八百ばかりある。もちろん、温泉を有する国の中でもそれはとび抜けて多い。 しかし、温泉が自然に噴出するからという理由だけで、湯治行や温泉旅行の隆盛を当然なもの、と片付けるわけにはゆかない。なぜなら、世界には大規模に温泉が噴出する場所がいくつもあるからだ。ところが、たとえば、アメリカのイエローストーン公園やニュージーランドのロトルア公園の間欠泉はただ観賞するだけのものなのである。また、ドイツのバーデン・バーデン、フランスのエクス・レ・バンなどは、医療リゾート(保養)地となっており、医師の指導に従って飲用したり湯の中を歩行したりするものである。 それなのに日本では、大浴場で、肩までどっぷりつかるのである。それは、温泉だけでなく、銭湯に代表される大衆浴場にも共通する特異な入浴習俗といわなくてはならない。世界にこうした例は、ほとんどみられないものである。 もちろん、それは、日本の気候風土と大きくかかわっている。日本列島は、全体としてみれば気温が高く、また降水量が多いために湿度も高い。とくに、日本の夏は、不快指数などという表示が生まれるほどに、蒸し暑い日が続く。すると、当然体が汗ばみべとつくわけで、入浴の必然性が生じる。もちろん、夏場だけを考えれば、水浴や、行水でもすむわけだが、冬はそうもいかない。日本には寒い冬もある。そこに、湯で体を温めながら洗う必然がまた生じる。つまり、温浴の習慣は、日本の気候風土から生じたものなのである。 ちなみに、同じように多湿で知られる東南アジアや南米は、熱帯雨林地帯に属しており、いうまでもなくそこでは冬という季節が無い。そのため温浴習慣はみられず、川などでの水浴が一般的である。一方、乾燥気候の中央アジアや西アジア一帯の遊牧民のあいだでは、温浴はもちろん水浴さえもあまりみられない。また、ヨーロッパも、基本的には乾燥気候であり、気候から見るかぎり、右に準じて入浴の必然はさほどないのである。ただ「カラカラ浴場」の遺跡から明らかなように、古代ローマですでに浴場の形態がみられる。しかし、それは広場にある浅いプールのまわりにみんなで集まって楽しむといった社交的要素の強いものであった、と思われる。少なくとも、日本のように湯に体を沈めて温めるという入浴法は発達していない。それでは、一部に日本と同じ気候帯や文化相を持つ中国や韓国などではどうか、といえば、もちろん、そこには日本同様に古くから水や湯を浴びる習慣はあった。ただし、大衆欲というかたちはまずみられない。 さらに、温泉の医療的な効能にひかれたということも見逃せない。日本人はもともと薬好きの民族である、ともいえるだろう。 たとえば、それは全国各地に薬師寺があることからも分かるだろう。また、古くから薬の行商を発達させていることからも、日本人の薬好きがうかがえよう。ひとつには、そうした日本人の医薬願望の強さが温泉行を盛んにしたと考えられるのである。 寺社詣や湯治行に代表される庶民(大半は農民)の旅が急速な発達をとげたのは、江戸時代中期である。それは、参勤交代の制度などにより、諸街道や宿場の整備がなされたことが前提となっている。しかし、あくまでも幕藩体制下での法は厳しく、とくに農民は、いわゆるムラ社会から離脱することをさまざまに規制されていた。そこで、彼らは、国家安泰や五穀豊穣の祈願を含んでの寺社詣を方便として旅に出た。もちろん、農閑期の旅立ちである。それも、大勢でぞろぞろ出るのではなく、村落社会や若者組を代表して何人かで寺社詣に出る。あるいは、講に参加する、というかたちをとった。つまり、単独行は少なく、ほとんどが団体行だった。 とくに、街道に近いところの温泉は、この団体行とそれに付随する宴会(寺社詣を済ますと、宴会をもつのが常であった。)に密接に関連して、発達した。つまり、一定の時間に始まる宴会に一同をそろえるためには、同時に大勢が入れる大浴場が必要になるわけである。日本列島の気候からして、また徒歩の道中からして、宴会の前段に、汗やあかを落とす入浴が習慣化するのは道理である。そこで、温泉の利用が一番効率がよい、ということになるのである。そして、旅館には、大浴場の設備が不可欠となり、事実、温泉を含めて大きな風呂のあるところが、以後も観光地としての発展をみているのである。 |
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